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書誌情報
・タイトル:『〈永遠のミサ〉 西洋中世の死と奉仕の会計学』
・著者:印出忠夫
・出版社:教育評論社
・発売日:2025/10/21
・ページ数:272頁目次
序章 「銀行」としての教会
第1章 中世末期の社会
第2章 中世人と死――彼岸と此岸
第3章 救済の計画としての遺言書
第4章 罪の償いとミサの設定
第5章 教会への基金の設立――十四世紀アヴィニョンのシャペルニ―
終章 この世の究極の「所有権者」とは
あとがき
感想
歴史を見る時、教科書的な大づかみの知識だけではわからないことがあります。
特にその時代の人の心に関わる問題は、現代からの視点ではなかなかわかりにくいものです。
本書はそんな中世ヨーロッパ人の心性を多様な話題から解きほぐす刺激的な一冊です。
本書では中世の教会が、祈りをささげる神聖な場であると同時に、社会の富を受け取り管理する組織でもあったことが提示されます。
著者が描き出すのは、宗教と経済、死と奉仕が複雑に絡み合う、これまで見落とされてきた中世社会の実像です。
3~4世紀を境に協会は閉じた共同体から社会的活動を担う組織へと変貌し、貧者や庶民をケアするという免税批判に応える役割を自らに課すようになりました。
ここに、教会が社会的権力を握る基盤が生まれました。
本書がとりわけ示唆的なのは、教会を「銀行」として捉える視点です。
信徒が遺産や富を教会に寄進し、教会はそれを管理し、死者のために継続的なミサを捧げる―この仕組みは、まさに長期基金の運用に近いと言えます。
著者は「教会は社会における富の流れの調整役としての『銀行的』役割を発揮した」と述べました。
中世の教会は、貴族に富が集中することを抑制し、社会全体に再分配する役割を果たしていたのではないか。
この視点は、宗教組織を経済装置として読み解く大胆な提案であり、読者に新鮮な驚きを与えてくれます。
興味深いのは、こうした制度が単なる経済活動ではなく、「死」の観念と深く結びついていた点です。
12世紀頃から、教会や修道院の床・壁に埋葬され、自らの墓碑を残す死者が増えたことは、死を「飼いならされた死」として個人が引き受ける都市的感覚の広がりを示します。
また中世の遺言書が相続指定よりも「魂の救い」を主目的に書かれたことも象徴的です。
遺言とは、残された者に不和を残すことを避けるという宗教的行為であり、墓地は「匿名化された共同体全体の記憶の集積場」として機能しました。
死と記憶の扱いには、時代の空気が鮮やかに滲みます。
さらに著者は、14世紀にイタリアで発明された複式簿記を取り上げ、「貸方」「借方」の概念が人々の罪と償いの理解に投影された可能性を指摘します。
会計という技術が宗教意識に影響を及ぼすという逆転の仮説は、本書の学際的魅力を象徴する部分です。
罪は「負債」であり、ミサや寄進という「支払い」によって清算される―こうしたアナロジーは、中世人にとって極めてリアルだったのではないでしょうか。
教会の制度、修道院の規律、パンデミックによる社会変化の顕在化など、本書は多様な主題が精密に絡み合います。
それゆえ教科書的叙述では触れられない「時代の空気」が立ち上がります。
宗教史・制度史・経済史の境界を越え、中世の人々がどのように死を考え、どのように社会を運営しようとしたのかを追体験できる一冊です。
おすすめの人
・ヨーロッパ中世に興味のある人
・キリスト教の歴史に興味のある人
・経済史に興味のある人