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書誌情報
・タイトル:『戦国武家の死生観 なぜ切腹するのか』
・著者:フレデリック・クレインス
・出版社:幻冬舎
・レーベル:幻冬舎新書
・発売日:2025/7/30
・ページ数:256頁目次
はじめに
序章 なぜ本能寺の変は"謎に満ちているのか”
第一章 アナーキーな社会を生きた人々と戦国の思想
第二章 武将たちの激しい信仰と宗教戦争
第三章 不安定な主従関係と戦国の忠義
第四章 足軽と鉄砲が変えた戦国の合戦
第五章 戦国時代の切腹と武士の名誉
おわりに
感想
本書は、戦国時代の武士がいかに死を受け入れ、いかに生きたのかを、戦国時代の特性と彼らの思想から探る一冊です。
戦国の武士たちは、死を恐れるよりも「どう死ぬか」を重んじました。
切腹や討ち死には、敗北ではなく生の完成形であり、自らの名誉を守るための最終手段でした。
著者はこの死の形を、江戸時代の制度化された死や刑罰、狂気としてではなく、自己決定の行為、つまり最後まで自分の生を自分で選ぶ姿勢として読み解きます。
序章では戦国時代の死生観を知る一例として明智光秀と本能寺の変を検証します。
第一章では、文化的素養を備えた武士たちの知的世界が描かれます。
儒教は禅宗に付随する知識にすぎず、教条ではなく実践の知でした。
女性もまた表舞台に立ち、戦や政治に関わっていた点が印象的です。
第二章では、信玄や謙信、家康、そして信長までもが真剣に神仏を信じていたことが明かされます。
信仰はときに武家を二分し、三河一向一揆や大友家のキリシタン信仰など、信仰が戦を生むほど真剣なものでした。
第三章では、儒教的な主従関係との違いが考察されます。
江戸期の儒教的な上下関係とは異なり、戦国の主従は感情と信頼によって結ばれた一種の個人主義でした。
女性も劇場的な忠義を示し、主を支える存在だったとわかります。
第四章では、戦国以前の時代と戦国時代の合戦が大きく変質いしていることを指摘します。
そのキーワードとなるのは、「足軽」と「鉄砲」と「兵站」です。
足軽の存在によって合戦は個人戦から集団戦へと変わり、「鉄砲」は城郭建築や兵士の鎧を変えました。
さらに総力戦の様相を呈した合戦に合わせて兵站の重要性が限りなく大きくなりました。
そして第五章では、切腹が社会的存在としての自己を守るための行為だったことが強調されます。
生物学的な命よりも「社会的意味」を重んじた世界で、死は終わりではなく、生を語るための表現でした。
本書を通じて著者は、私たちが抱く「戦国像」が江戸時代のフィルターによってゆがめられていると指摘しています。
長い江戸時代の封建秩序の影響で、現代の我々が想像する「武士」のイメージが定着しました。
しかしそのせいで戦国時代と現代の社会的連続性が失われてしまいました。
江戸時代のフィルターを外して戦国時代を知ることで、今より深く戦国武家の思想を理解できるということを本書は訴えています。
そして本書の扱う時代に関わらず、過去を見る時に現代の物差しで見てしまうことの危険性を学ぶことができました。
これからも当時に寄り添った視点で歴史を見るようにしたいです。
おすすめの人
・戦国時代に興味のある方
・日本人の死生観に興味のある方